鑑定士のひとりごと

収用委員としての18年間

収用委員としての18年間
委員に任命
平成13年8月に収用委員に任命され、令和元年8月まで約18年間、愛媛県の収用委員を勤めさせていただいた。
思えば平成13年の4~5月頃だったろうか。
県庁の人事課?から5月の○○日○○時頃、事務所にお伺いしたいが如何かという電話があった。
こちらの方は特に予定もなく了解しましたとこたえる。
電話では具体的な話はなくそうした部署から日頃連絡があることはまずない。
いったい人事課の誰がどんな用件で来られるのだろうかと思っていた。
予定の日時に当時の矢野順意副知事が事務所に来られたのにはいささか驚いた。
しばらく世間話をしていると副知事の方から収用委員就任の打診があった。
これまた驚いたけど小生としては特段、異存はなくその旨を伝える。
6月の県議会の承認を経て晴れて8月から収用委員に任命されたというわけである。
48歳だった。

鑑定士として最初の委員
小生が不動産鑑定士としては最初の委員だったように思う。
いずれ後に続く鑑定士の為にも恥ずかしくないようにとの思いで、1期2期と勤めていくうちにいつの間のか6期18年も勤めていたというのが偽らざる心境というか現在の素直な感想である。
当初はせめて2期6年ぐらい大過なく勤められればいいかなという気持ちだった。
18年というと委員会がひと月に2回として一年で24回、10年で240回、18年だと432回ということになる。
最初のうち、朝方は、今日は委員会があるなと思っているのだが仕事に熱中するあまりいつの間にか昼頃になるとうっかり失念して遅刻しそうになったことも何度かあった。
小生、新米でもあるし大抵は委員会開始の20~30分前には委員会に行くようにしていた。
日頃から早めに出席する小生が未だ来ていないので事務局が心配したのだろう、委員会開始の15分ぐらい前になって事務局から小生の携帯に電話があった。
その時は本当に会議開催のことを失念していた。
急いで駆けつけてなんとか事なきを得たということもあった(うちの事務所から県庁まで急いだら10分か15分で行けるのでなんとか滑り込みセーフで助かった)。
そんなこんなのドタバタも多少あったがなんとか432回、無遅刻、無欠席で通すことができた。
大したことではないと言えばそれまでだが自分を褒めてやってもいいのかなと思う。
そういえば昭和60年に鑑定士として独立して34年余りになるが入院はおろか病気らしい病気もしたことがない。
健康に産んでくれた親にまずは感謝だろう。

委員としての思い出
委員就任当時は現地調査では県庁の黒塗りの車で送迎してもらったものだ。
手当も現在は日当制(一日3万円)であるが、当時(就任して4~5年ぐらい)は月給制(月額16万円)で過分の手当を貰っていた。
委員として審理の席等で土地や建物を収用される側のいろんな想い。
単に価格不満でゴネているだけという事案が多かったと思う。
それでも地価や物価が右肩上がりに上昇している時はゴネて収用が長引けば被収用者が得する場面もあった。
現在のような右肩下がりの時は殆どゴネ得は生じない。
中には同情に値するような案件や起業者がもう少し被収用者に丁寧な説明をしていればここまで話がこじれることは無かったのにと思われる事案も少なからずあったように思う。
起業者側の気苦労も審理の席や現地調査の際に感じることができた。
ざっくりとした話だが事業の90数%は任意買収でスムーズに片付く。
問題は残りの数%だ。
例えば地権者が相続でもめているとか、隣地との境界で折り合いがつかないとか、あるいは相続人が数十人もいて生死や居所不明(中には戦前からブラジルに移住していて連絡、意思確認を取るのが困難)とかややこしい案件が残るのである。
いずれにしても委員としての18年間はいつの間にか経っていたという感じだ。
この間、県鑑定士協会の会長をやり、その後四国連合会の会長、全国の常務理事と日常の鑑定業務以外にも多忙な時期であった。
しかしながら振り返ってみるとこの時期が小生の人生の中で一番充実していたように思う。
不動産鑑定士としての小生の鑑定士人生もあとそんなに長くはないと思う。
収用委員としていい経験をさせてもらった。
経験してきたことを今後の鑑定士生活の中で少しでも活かすことができたらいいなと思っている。
いずれにしても歴代の収用委員の先生方、優秀な事務局のスタッフの皆さんに支えられながらの楽しく充実した委員生活であった。
皆さんには大変お世話になりました。

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