家族の中に引きこもりがいるということで悩み苦しんでいる家族は多い。
役所や保健所に何度も相談に行っても「一度本人を連れてきてください」と言われる。(本人を連れて来られるぐらいなら苦労はしないのに・・・)
なんとか連れて行ったとしてもそこでどんな助けを受けられるというのか?
相談してみたところで世間に晒すだけで何の問題解決にもならないと思っている。
そういう引きこもりを持つ親は多いと思う。
糸口が見つからないままなるべく傷口に触らず、そっとしておいてくれというのが実情だろう。
引きこもりに対する支援の難しさ、解決の糸口を見つけるということは大変だ。
まずはそうした家族を地域、行政で支援する体制を作ることが大切だろう。
引きこもりは子供時代に受けたいじめを端緒に不登校になりそのまま引きこもるというパターンや仕事のストレスで休みがちになり引きこもるというケースもある。
引きこもることによって本人は社会から変な目で見られているのではないのだろうかというマイナスイメージが一層膨らみ余計に没社会性が増幅するのだろう。
しかしレズでもホモでも一昔前までは社会はタブー視していた。
今は過去と比べたら格段にそうしたことに大楊になったというか理解が出てきた。
引きこもりは一つの病気だ。
心身共に健康な人が野良こいて仕事もせず、親のすねをかじるのはまだしも(これなら家庭内の自己責任)生活保護を貰ってのんきに生活するというのは許せない。
引きこもりについても何にも臆することなく、堂々と?生きて欲しい。
内閣府は今年の3月、40~64歳で半年以上にわたり家族以外とほとんど交流せず自宅で引きこもっている人が全国で61万3千人いると発表した。
いわゆる80、50問題だ。
これは若年層(15~39歳)の同54万1千人を上回るという。
中途退職後あるいは若い頃から定職につかずに引きこもるという人が増えているということだろう。
川崎での20人殺傷事件
引きこもりが原因でこのところ痛ましい事件が相次いだ。
一つは5月28日午前7時40分頃川崎市多摩区登戸新町の路上で男が私立小学校のスクールバスを待っていた6~12歳の児童らを次々と包丁で襲い保護者ふたりを含む20人が刺されるなどして保護者と女児の二人が死亡、18人が重軽傷を負った事件である。
最初の襲撃から容疑者の自殺まで僅か十数秒の出来事だったという。
容疑者は職業不詳、岩崎隆一51歳。
容疑者のリュックサックには更に2本の包丁が入っていたという。
現場には保護者や学校関係者も日頃から力を入れて見守りをしていたが事件は防げなかった。
いくら見守りを強化して学校ぐるみ、地域ぐるみで子供の安全を図ってもこうした事件を見ると警備の限界、安全の限界を感じてしまう。
米国ではメリーランド州の州法で8歳未満を一人で留守番させたり、車内に放置すると罰金や禁固刑に処せられるという。
英国のロンドンでは日本の小4程度までは親が通学に付き添うのが一般的だという。
また低学年は帰宅する際、保護者が迎えに来たことを教員らが確認した上で子供を引き渡す学校が多いらしい。
しかし日本では共働きが多く現実面で親が子供の送迎を負担するのは無理のような気がする。
岩崎容疑者は両親が幼い頃に離婚し、どちらにも引き取られずに結局おじ夫婦と同居しながら暮らしていたという。
しかし80過ぎたおじ夫婦自体、介護の必要が出てきて岩崎容疑者はいずれ自分も孤立してしまうと思い込み、将来を儚んだのだろうか?
しかしいくら自分の将来を悲観しても無辜の民をこんなに大勢巻き添えにして・・・・。同情はもとより弁解の余地は毛頭ない。
農林水産事務次官の息子刺殺事件
次いで6月1日午後3時40分頃「息子を殺した」と110番通報があった。
通報したには元農林水産事務次官、熊沢英昭容疑者(76)。
死亡した男性は無職英一郎さん(44)死亡した長男の栄一郎さんについて容疑者は「引きこもりがちで家庭内暴力もあった」と供述している。
事件の数時間前近所の小学校で運動会がありその音がうるさいと腹を立てる英一郎さんを熊沢容疑者は注意したという。
熊沢容疑者は息子が川崎20人殺傷事件を知り他人に危害を加えるかもしれないと思い、思い余って息子を刺殺したというようなことを自供しているという。
熊沢容疑者が周囲に相談した形跡はない。
職場でも近所でも息子がいることすら知らなかったという。
「有能で冷静、度量の大きい人だった」というのが元部下の評である。
こんな人が自分の息子「覚悟を持って」刺殺しなければならなかったという不条理、現代社会の一つの歪みを映し出しているのではないだろうか?
引きこもりの起きる原因
こうした事件が起きる度に行政や支援団体に相談し地域全体で見守りを強化するということが繰り返し言われるが「隣は何をする人ぞ」、「向こう3軒両隣」に住む人とろくに会話を交わしたこともなく、顔もよくわからないというのが今の状況ではないのか。
このような状況でどの程度のことができるだろうか。
引きこもりは社会が高度化し単純労働は機械に置き換わり、能力的に劣る人は社会からはじき出され、行き場のない状態、社会参加がなかなかできない社会になってしまったことが引きこもりが急増している一つの原因ではないだろうか。
優勝劣敗社会が生み出した産物が「引きこもり」と言えなくもない。
家庭内の不和、親子兄弟姉妹の優越感、劣等感のような感情による不仲、こうした感情がいつの間にか大きくなり自分の殻に閉じこもってしまうということもあろう。
お金は無いより有るに越したことはないと思うが今回の二つの事件を見ても家庭が裕福かどうかということはさほど問題ではないように思われる。
解決策はなかなか見当たらない
殻に閉じこもった人の殻をいかにして開けるか。
今回の事件をメディアで取り上げ、経緯を詳しく分析したところで(しないよりはマシだろうが)根本的な問題解決にはならない。
引きこもりの態様は百人百様,千人千様だ。
20人の殺傷事件を起こした岩崎容疑者は小学校時代の作文に自分が生まれ変われるとしたら「大金持ちになりたい」、「将来の夢は動物園の飼育係」と書いていたという。
しかし別に大金持ちにならなくてもいいじゃないか。
「幸せは春の桜に秋の月親子一緒に三度食う飯」というように人と比べずもっと大揚に生きることが大切だ。
また、万人万様の生き方を社会が認め優しく受け入れられるようになれば自ずとこのような問題や犯罪は減るのではないかと思う。
引きこもりの当事者や家族が追い詰められないよう、社会との断絶感、絶望感を抱かせることのないような社会ができない限りこの問題はいつまでたってもなくならないと思う。
引きこもりはただ飯食い、社会悪のように思ってはならない。
引きこもっている当人、家族が一番辛いのだから。
引きこもりさんよ、堂々と生きよう。
こうした犯罪を少しでも減らすためには低学年児童の見守りも確かに大切で必要と思うが「引きこもり」の人に対して偏見を持ない社会を作ることが大事だ。
社会全体で温かい光を当て「引きこもり」に対する「温かい見守り隊」を社会で全体で作っていくことこそが必要だと思うのだが・・・。