北陸・信州一人旅(その2)
いざ松本
昼過ぎ糸魚川を出発し約1時間(一両編成で乗客は30人ぐらいだろうか)南小谷という駅に着く。
まさに中央構造線の線上にあると思えるような峡谷の中にある小さな鄙びた駅だ。
ここで約1時間快速電車に乗り換えるために時間つぶしをする。
松本駅に着いたのが4時ごろだったろうか。
駅についていつものように観光案内所に向かう。
松本には2泊の予定だから比較的ゆっくりできる。
翌日、日帰りで上高地に行くということも出来たがここはゆっくりと街歩き楽しもうと思った。
駅前のドーミーイン松本に連泊である。
ここは屋上階に大浴場?と小さな露天風呂がある。
小生の好きな水風呂もある。
早い時間だった殆ど貸し切り状態.これまでの旅の疲れをゆっくりと風呂に浸かって落とす。
その晩はやはりホテルおすすめの駅前(伊勢町通り)の居酒屋に行き地元料理?の美味しい馬刺しの3種盛りを食べた。
やはり馬肉の地元である。
馬刺しの切れ端に山芋とろろ、オクラ、納豆の入った(名前は忘れた)ネバトロこれでもかというぐらいのものを食べる。
馬のような馬力がついたかどうかは定かでない。
〆は駅前で見つけておいた蕎麦屋でざるそば。
わたしゃあなたのそばよりも信州、松本のそばがいいというぐらいだ。
2日目は朝ゆっくりとホテルを出て駅前で昨夜食べた店の隣にある立ち食いそば屋(小木曽製麺という蕎麦屋で昨日に負けないぐらい美味しくしかも値段は半額以下)でざるそばを食べてから街歩きを始める。
駅から昨夜晩ご飯を食べた伊勢町通り周辺を歩き、時計博物館(この日は丁度休館だった)を経て中町通りへと向かう。
中町通リは白壁となまこ壁の土蔵が立ち並ぶ、時代を遡ったかのような古き松本の風景が連なる。
次に女鳥羽川に四柱(よはしら)神社の参道として発達してきた縄手通り(縄のように細長い土手という意味で、この土手まで昔は松本城の総堀があったらしい)を歩いて松本城へと向かう。
松本城に着くなり入口付近で観光ボランティアガイドのおじさんが(自分も大層おじさんであるが)「待っていました」といわんばかりに案内をしてくれるという。
こちらは一人ですが大丈夫ですかと遠慮気味に尋ネルと「問題なし」ということなので案内してもらうことにした。
案内時間は約40分,パンフレットだけでは分からないことなどを聞くことができ大変ありがたいと同時に、ガイドさんが松本城を大切にしようという気持ちが伝わってくる。
また旅人に対するおもてなしの心に感謝、感謝である。
聞くところによると今の松本城は天守閣を囲む内堀と東側に外堀の一部しか残っていないが本来はまだ東方約200m、西方約100m、北方約100m、南方約300m位のところに松本城の総堀があったということで広いものだったらしい。
その中には今や市役所、日銀、NTT、医師会館をはじめ神社、仏閣、ホテル、銀行など官民入り乱れて建物が立っておりもはや往時の姿に復元させるのは不可能だろう。
ガイドさんは天守閣には入らないので入り口付近で丁寧にお礼を言い別れる。
松本城は400年余の風雪に耐えた日本最古の五重六階の天守閣であり国宝に指定されている。
天守が国宝に指定されているのはここ松本城と犬山城、彦根城、姫路城、松江城の五城にすぎないということだ。
天守の中に入ってみたが中でも4回から5階につながる階段は勾配が何と61度、1段の高さが約40センチあり用心して上がり降りしないととんでもないことになる。まるで梯子段のようだ。
ホテルに帰って一休み。
2日目の夜は同じ店もどうかと思うので隣の居酒屋へ入る。
入ってカウンターに座ったがなんとなく昨日の方がよかったなと思った。
まあ仕方ないか。
ここでも馬刺しを食べたがやはり昨日の方がおいしかった。
それにしても馬刺しを二晩続けて食べるということは今後、自分の人生の中ではありえないことだろう。
〆は駅前でやはりざるそば。
因みに松本市は、人口約24万人、地価水準は駅前の一等地で1㎡当たり22~27万円、中町通りで1㎡当たり9~12万円、縄手通りで1㎡当たり9~10万円、松本城本丸入り口付近で1㎡当たり15~16万円程度だ。
県庁所在地の長野市の人口が約38万人で駅前の一等地で33~36万円ということで人口規模からすると長野市がもう少し高くてもいいのかなとも思う。
また人口が長野市は福井市より11~2万人多いが福井市と地価水準はほぼ同程度だ。
人口だけでなくいろいろな要因が関係しているのだろう。
甲府市
松本から特急あずさで約1時間余り山梨県の県庁所在地甲府駅に到着。
案内所で市内地図を貰い駅から歩いて数分の舞鶴城公園(甲府城跡)をめざす。
曇り空の中を歩いて公園入口まで行くと一人おじさんが立っている。
城跡の案内をしてくれるという。昔は西側に隣接する山梨県庁やJR甲府駅も城跡の一部であったということが案内所で貰った古地図を見ると分かる。
駅の南方、山裾にリニア新幹線の新駅ができるという。
そうなったら今の街の状態も変わるんだろうか。
朝ごはんはさほど食べないので昼前になったのでそろそろお腹がすいてきた。
ガイドさんに何か地元の美味しい物はと尋ねると「ほうとう」というカボチャや根菜類をみそベースで煮込んだ鍋があるというので評判の店まで案内してもらった。
ここでガイドさんにお礼を言って別れる。
田舎料理?ではあるが素朴で出汁と野菜がマッチして確かにおいしい。
中にきし麺の親分(九州でいう、やせうま?)みたいなものが入っておりボリュームも充分である。
甲府市は人口約189千人、南北に続く駅前通りの一等地の地価水準は1㎡当たり28~30万円。松本市より人口は2割程度少ないが地価水準は逆に2割程度高い。
駅前の状況は見た感じ松本の方が大分上だと思うのだが。
やはり県庁所在地という中枢機能都市としてのステイタスがあるのかどうなのか地元の鑑定士に聞いてみたい?
静岡に入る
甲府で早めの昼ご飯をすまし身延線富士駅に出てそこから東海道本線に乗り換え静岡へと入った。
静岡には2時ごろに着き取りあえず荷物を駅の近くに予約しているホテルガーデンスクエア静岡に預けて街歩きを始める。
余談だがこのホテルは徳川慶喜公の屋敷跡の一角に建てられたものらしい(だからどうしたということでもないが)。
取り敢えずホテルの北方約6~700mのところにある駿府城公園を目指す。
それにしても静岡は江戸幕府を開いたあの天下の大御所、徳川家康公が愛した町だけあり、また現在は70万都市ということで駅前も賑やかで、どことなく都会的センスを感じる。
市役所、県庁の傍を通り駿府城本丸跡の周りを見て回る。
JR静岡駅からお城周辺が戦国時代の昔から栄えていたのだろう。
因みに地価水準としては駅前で概ね150万㎡当たり120~150万円、飲み屋の多い呉服町辺り(夜ご飯はこの辺りに居酒屋で食べた)で1㎡当たり70~80万円、お城の北西側にある浅間神社の4~500mある参道(水曜日であったがかなりのシャッター街)で1㎡当たり20~23万円ということだ。
これも余談になるがホテルで聞いて入った居酒屋で偶々ホテルのチェックインの際、居合わせた人とカウンターで隣同士(その人は横浜の人で月1度くらい静岡に出張があるらしい)となり、世間話をしながらお酒を酌み交わし、ご当地の黒はんぺん、新鮮な生シラスなどを食べた次第である。
旅の最終地、岐阜
翌日はウナギで有名な浜松市を通り越して豊橋駅で途中下車し駅前を歩きながら昼ご飯を食べようとしたが雨が結構降っており結局駅まで帰ってきて簡単なものを食べて済ます。それから大都会名古屋を通り越して岐阜へと向かった。
岐阜といえば清流長良川の鵜飼い船が何といっても有名である。
長良橋南の鵜飼い観覧船乗り場から南西へと続く戦前の日本を彷彿とさせるような河原町界隈も歩いてみたが生憎の雨でひとけは殆どない。
ロープウェイに乗って金華山頂にある道三、信長の居城として有名な岐阜城も見て回ったがここでも雨。
早々にホテルへと帰り相撲を見ながら夜に備えることにする。
ホテルは駅から傘がなくてもいけるぐらいのところで夜の街にも名鉄岐阜駅にも近く便利のいいところだった。
岐阜の夜に食べた郷土料理はゴリとドジョウのから揚げ,明方ハム、モツ丼(大したもん食べてないなー、自分が・・・とほほ)。
岐阜市の人口は約41万人、駅前の一等地で1㎡当たり45~55万円岐阜城辺りの住宅地や河原町の古い町間に辺りで1㎡当たり8~10万円というところだ。
以上で今回の北陸・信州一人旅を終える。
一人で動くということは何もかも自分でするということでいかに今まで人に頼って生活していたかということが今回の旅を通じて身に染みて分かった。
同時に旅は脳や体に適度なストレスと刺激が与え、今後着実?にボケていく身としてはボケ防止にも役立つ。
旅に出るためには体力がないとまずダメなので体力維持にも努めなければならない。
現地に赴き、その場に立つということはその土地の空気、人情、景観、味などテレビや映画では到底味わえないものがある。
お蔭で人生の趣味がまた一つ増えそうである。