北陸・信州一人旅(その1)

北陸・信州一人旅(その1)

9月15日からかねてから計画していた一人旅に出る。

行き先は北陸に出て信州松本を経由する旅だ。

学生時代には夏休みはお盆過ぎまでバイトをし、8月下旬ごろから一週間程度、一人でどこへ行くともなく旅をするのを恒例にしていた。

隠岐の島や種子島、屋久島、能登半島などに行った。

どちらかといえば人の少ない鄙びたところが好きである。

当時はお金がさほどある訳でなく安い民宿などを駅で聞いては泊まり、帰りの交通費は残っているかなど、財布の中身を気にしながら移動した。

元来、旅行は好きなので所帯を持って、ある程度落ち着いてきたころから1年に1度は海外を含めて家族で旅行をしていた。

今回のように出張以外、純粋な遊びで一人旅をするのは実に40数年ぶりということになる。旅行は非日常を味わえるのがいい。

一人旅はそのうえ自由に行動できる。

家内や友人と旅行することもそれはそれでまた楽しいものであるが、今後年を取るにつれ、元気で長生きはいいが少しでも「健康で楽しむ」ということを生活の中に取り入れていかなければいけないと思う。

一人旅を人生の楽しみの中にもう一つ加えるという意味で今回思い切って一人旅に出ようと思った次第である。

 

福井へ

初日は早朝7時20分の松山駅発しおかぜで岡山に行き新幹線に乗り換えて新大阪へ。

そこから特急サンダーバードで福井まで行く。

初日の宿泊を福井としたが丁度、国体が始まるということでなかなかホテルの予約が難しかったが事前に何とか取れた。

福井駅についたのが午後1時過ぎ。

車中、福井に着いたらどこに行こうかと迷っていた。

駅前の観光案内所に飛び込む。

東尋坊か永平寺かということになり時間的には丁度いい時間のバスがあるということで永平寺に行くことにした。

前から一度は行ってみたかったので丁度良かった。

駅から永平寺までバスで20分~30分というところだ。

寺の入り口までバス停から門前町を土産物を見ながら歩いて約10分。

永平寺はご存知のとおり、1244年道元禅師が45歳の時、道元の信徒の一人であった越前国(福井県)の豪族、波多野義重の請いによりこの永平寺を建立する。

今でも多くの若い修行僧が毎日道元禅師により定められた厳しい作法に従って禅の修行に励んでいる姿を目の当たりにすると、改めて身の引き締まる思いがする。

旅の始まりとしていいスタートがきれた。

夜は近くの居酒屋で福井の郷土料理、へしこ(サバを長期間みそ漬けにしたもの)なるものを食べたが確かに酒の肴にしてはいいがしょっぱくてあまり食べられない。

福井市は2018.9.1現在人口約264千人、

JR福井駅前の一等地の地価水準は1㎡当たり33万円~35万円。

土曜日の昼過ぎだったせいかそんなに人の流れは多くないと感じた。

夜の飲み屋街も人通りが少ない。

 

金沢にて

2日目は午前10時ごろ金沢駅についた。

天候は曇り空で歩くにはちょうどいい。

今日も元気に歩こう。

駅前の観光案内所でガイドブックをもらう。

半日あれば市内の主だったところを歩けるということでまずは駅から南東約1㎞のところにある金沢市民の台所、近江市場を目指す。

青果・鮮魚の店が所狭しと並んでいる。

高知のひろめ市場を何倍か大きくしたような感じだ。

市場が出来て約300年といわれているが、もはやここは観光地と化し、金沢市民の台所を通り越して観光客で溢れかえっている。

観光客に占領された市場は地元の人にとってはどうなのだろうか?

市場から今度は南に向かい藩政時代に加賀藩の中級武士が暮らしていたといわれる長町周辺の武家屋敷跡界隈を歩く。

ここは比較的観光客も少なく閑静で風情がある。

地域周辺の地価もさぞ高いのだろう。(周辺の地価水準を見ると1㎡当たり12~13万円)

次に公園のような美術館で最近マスコミにも取り上げられている金沢21世紀美術館へ行ってみたのだがチケットを買おうと思ったら長い行列ができている。

チケットを買うのに待ち時間が約一時間と係の人に言われ、中に入るのは止めにした。

昼前になったので途中カレー屋(自分ではたいした味でもないのにと思うがここも満席)で昼食を取り,日本3大名園の1つといわれる兼六園へと向かう。

ここも人が多い。

とにかく金沢は新幹線できてから観光客が大幅に増えたということである。

公園をぐるりと回って隣接する金沢城公園の中を通り、最初の近江市場のところに出る。朝はさほどでもなかったが市場も昼過ぎなので観光客でごった返している。

そこから横安江町商店街(ここは寺町のせいか仏壇仏具を売る店を中心として古い店が多い)を通って金沢駅へと向かう。

金沢市は人口約465千人、因みに駅前の一等地の地価水準は1㎡当たり約90~100万円で福井駅前の約3倍である。

それにしては人口約513千人を擁する我が松山市のJR駅前が1㎡当たり約20万円~25万円というのはいかにもしょぼい感じがする。

松山駅前は現在、駅の高架と周辺の再開発が進捗中であるので今後に期待したい。

それと松山市はJR松山駅よりも伊予鉄のターミナル駅である松山市駅前(地価水準は1㎡当たり50~55万円)や大街道商店街(地価水準は1㎡当たり80万円程度)が地価でいえば一等地であるから金沢駅と松山駅を比べるのは多少の無理があるかもしれない。

 

魚津と親知らず、糸魚川

金沢駅から富山を通り越して2日目の宿泊先である魚津へと向かう。

所要時間は約1時間半。

夕方に魚津につき投宿先のホテルでシャワーを浴び、相撲を見ながら一服する。

ホテルで聞いた居酒屋が正解だった。

年寄り夫婦が切り盛りして30数年になるらしい。

年寄りといっても小生とさほど変わらないか?

7~8人座れる店のカウンターと5~6人座れる小上がりは常連客で一杯だったがカウンターの端が1つだけ運よく空いていた。

いい店だという感じが長年の感で何となくわかる。

魚津というぐらいだから魚どころ期待が膨らむ。

女将さんに刺身を盛り合わせで頼んだ。

イカ、タコ,貝、マグロ、エビ、カニなど7~8品入っていたろうか。

見た目もきれいで新鮮そうで食べるとこれがおいしい。

値段は一応時価となっている。

結局あとハタハタ丸干しの焼き物とモツの煮込みに〆はおにぎり1つ食べた。

酒は瓶ビール1本(なぜか大瓶しか置いてない)、冷酒1本(300ml)。

これで3000円の安さだから感激した。

ホタルイカと蜃気楼の町、魚津は人口約42千人の小さな町であるが夜は福井の夜より活気がある。

翌朝、駅前で乗ったタクシーの運転手さんにその理由を聞いてみた。

すると隣接する滑川市と黒部市から飲みに来るお客さんが結構いるということだった。

さすがに蜃気楼にはお目にかかれなかったがそのタクシーに乗って車で10分足らずのところにある魚津埋没林博物館に行った。

メインは水の中に巨大な樹根を展示している水中博物館は圧巻だった。

この水中博物館は1952年~53年、魚津港建設時に埋没林が発見、発掘されたものだという。

これをほぼ当時のままの状態で水槽を埋没林に合わせて造り、保管しているものだ。

この埋没林は河川の氾濫と海面上昇が複合して埋没した約2000年前の杉の原生林で未だに腐敗しないのはこの水槽の中で伏流水が湧き水となって常に循環している為らしい。

因みに人口約43000人の魚津駅前の地価水準は1㎡当たり75千円まあそんなところかと何となく納得する。

魚津と糸魚川の途中に親不知というところがある。

この地名の由来は「親知らず,子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消えゆく」源平の世、越後に移った平頼盛に会いに行く妻が赤ん坊を荒波にさらわれ、その悲しみを読んだものでこれが親不知の地名の由来といわれている。それほどここは日本海の荒波にもまれ断崖、絶壁が長く続く。

瀬戸内には海の中に橋があるが、車中から見ると、ここには海岸に沿うようにして海上に高速道路が建設されている。

その日の昼前に糸魚川駅で途中下車。

ここから静岡に向けて構造線が走っている。

150万年~200万年前はこの線で西日本と東日本が分かれていたものが長い年月をかけて陸地が動いて引っ付いたといわれている。

糸魚川の河川や海岸でヒスイが取れるというのもそうした地殻変動の大きな動きが原因らしい。糸井川で蕎麦定食を食べて一路、松本へと向かう。

 

北陸・信州一人旅(その1)
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